yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

玉三郎哲学が立ち上がってくる『伝心~玉三郎かぶき女方考』京鹿子娘道成寺(NHK再放送)3月5日

迂闊なことに、1月放送の最初のものを見逃している。だから、遅ればせながらもこの放送がみれたことは幸運だった。シネマ歌舞伎で「京鹿子娘五人道成寺」を1月にみて感動したばかり。いずれもが「稀代の女方役者、坂東玉三郎集大成」の環のひとつ。この「伝心」はシリーズになるようなので、見逃さないようにしなくては。

「京鹿子娘五人道成寺」では彼の情念を強烈に感じた。歌舞伎役者として自身が習(修)得してきたものを、四人の若手役者に「なんとしても伝えておきたい!」という彼の意思が、画面から飛び出してくるようだった。従来の歌舞伎役者がそうであったように「稽古をつける」という形で個別に伝承してゆくだけではなく、歌舞伎舞踊という形で集大成する。それも公演記録という映像として。単なる映像のシークエンスを見ているのではなく、その割れ目から情念が迸り出ている。そしてそれが金の粉のように四人の若手役者に降り注いでいる。そんな感を持った。

そしてこの「伝心」。こちらには玉三郎の哲学があますところなく出ていた。彼が歌舞伎役者=演者であると同時に、「歌舞伎」を理論化するに長けた稀有な人であることがよくわかる。「思索する人」であることが彼の語る内容からダイレクトに伝わってくる。芸談も含めて歌舞伎役者の話を今まで多く読んできたけれど、ここまで理論的なものはなかった。天才的役者だった十八世勘三郎は実験、実践を通して歌舞伎の「理論化」を試みたいえるだろう。ご本人はそうとは意識しなかったかもしれないけど、結果を見れば一目瞭然。玉三郎は勘三郎とは違ったアプローチで理論化に挑戦しているのだと感じた。勘三郎と玉三郎は歌舞伎とはどういう演劇なのかを、それぞれ違った立ち位置から示そうとしているのだと思う。

歌舞伎はエンターテインメント。でもそれ以上の何かがある。それ明らかにしなくてはならないという想いが玉三郎にはあった。その想いを言説化する。映像の力を借りて。番組冒頭での「所信表明」にはそれが強く出ていた。

玉三郎の解説で、私が強く打たれたのは前半部。ここでは歌舞伎舞踊の「娘道成寺」が能からの「引用」の織物であると同時に、そこから能とは違ったものを生み出す過程を諄々と説く(解く)。例証方法が素晴らしい。玉三郎の知性の高さ、芸術作品を生み出すことへのこだわりが同時にみて取れる。前のブログ記事で「美の判断は自由意志によって自発的に悟性の普遍性と一致しようとしている」というカントの美の定義を引用した。美の判断が悟性の普遍性と一致しようとするというところは、まさにこの玉三郎の「歌舞伎の美を、芸術性を普遍的な言説にする」試みと重なるように思える。

その試みは(カントに倣えば)そのまま彼の道徳性の高さを表してもいる。玉三郎が能の「道成寺」とそこから歌舞伎に採りいれられた乱拍子を語るとき、その裏に透けて見えるのは能の世界観。舞いが神聖な時間を創出しているという能舞台のアクチュアリティ。能が孕む「神聖」を歌舞伎舞踊としてどう「こなすか」。この課題をずっと彼は考え続けてきたのだろう。(おそらく)十代の頃から大曲にあった(松濤以前の)観世能楽会館に通っていたという玉三郎。先代宗家(番組では「当代」って仰っていたけれど、勘定が合わない)の観世左近元正師の指導も受けたとか。能との近さを玉三郎の「娘道成寺」には強く感じるけれど、「そういう経緯があったんだ」と納得した。能楽からは「お囃子の基本、乱拍子がどんなものであるか」を、また「『形容』と『風』をもらった」と玉三郎はいう。乱拍子を踏むことで、その根本である「神聖な雰囲気と神聖な時間」と開示させたということになろうか。含蓄に富んだ言明だった。

場の空気に点刻みを打ちつける小鼓の音。合わせて踏まれる演者の足。乱拍子は場の緊張感をマックスに高める。でもそれがあまりにも長いと客が疲れる。ということで、バランスを取るようにしたのだと、玉三郎はいう。乱拍子を踏むごとに高まる緊張感。それはただ一点に集中している。質量がマックスになったところで、それを緩める。ここでの「開かれた」感覚が大事なので、「短い乱拍子」という結果になっているのだ。

この後、さらに能『三井寺』がいかに、またなぜこの「娘道成寺」に採り入れられたのかと続く。能の『道成寺』と『三井寺』に共通したキーワードは「鐘」。歌舞伎舞踊はこの「鐘」を共通点として、『三井寺』のテーマを浮かび上がらせているという。鐘が表象するのは「時の移ろいの虚しさ」であり、「死」である。さらにはそれらを超越した「悟りの世界」でもある。能が謡いこんでいるこれらのテーマ、それはひとことで言うなら「仏教思想」ということになるのだろうけど、それらが歌舞伎舞踊にも採りこまれた。玉三郎のことばを借りるなら、「能の『三井寺』を持ってきたのはすごい着想」。この「『時がすべてを虚しくする』と言ってしまったこと」は歌舞伎舞踊の「娘道成寺」に大きく影響を与えたと玉三郎。なぜなら女の恋の恨みを飛び越えて、時が過ぎてゆくことへの恨みが立ち上がるから。「私はここにつかまり「道成寺」が踊れる」と玉三郎はいう。これが彼が「哲学者」である所以である。

『三井寺』の箇所では、鐘の「ゴーン、ゴーン」という音を頭の中で唱えつつ踊るのだという。そのサマを見せてくれた。感動的。この仏教的な思想こそが、作品のバックボーンになっていると玉三郎はいう。以下、歌舞伎舞踊にも取り込まれた能『三井寺』の詞章。

まず初夜の鐘を撞く時は 諸行無常と響くなり 後夜の鐘を撞く時は 是生滅法と響くなり 晨朝の響きは 生滅々已 入相は 寂滅 為楽と響きて 菩提の道の鐘の声 月も数添ひて 百八煩悩の眠りの 驚く夢の世の迷ひも はや尽きたりや後夜の鐘に 我も五障の雲晴れて 真如の月の影を眺め居りて明かさん

ここに白拍子花子(清姫)に仮託した「悟りへの願い」が踊り込まれている。それによって、恋の恨みというテーマがさらに壮大な「悟りをひらく」というテーマへと昇華して行く。「真如の月の影を眺め居りて明かさん」で白拍子花子は烏帽子を脱って、上手奥を見る。そこでは「清々(せいせい)とした気分になる」のだという。でも上手を見ながら手前を見ると、(彼女の)煩悩の象徴である釣鐘がある。ここで花子は現実に還る。この対比が見事だと、玉三郎はいう。こういうところに歌舞伎の世界観がでている。またそれゆえの文学性があるのかもしれない。

この後、舞踊後半の歌舞伎ならではのエンターテインメント性に則った舞踊がついてくるわけで、それの解説も玉三郎がしているが、それはまた別記事にしたい。