yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

玉三郎の「娘道成寺」へかける想いの強さがわかるシネマ歌舞伎「京鹿子娘五人道成寺」@なんばパークスシネマ1月23日

これもさほど期待しないで出かけたのだけれど、見ておいて良かった。もう一度見るつもりにしている。もっと以前の公演録画と思っていたら、なんと1年前(2016年12月)のもの。

玉三郎の熱い念とそれを実現させる技の極みに圧倒される。それらを次世代に伝承してゆくという彼の責任感が、ひたとこちらに向かってくる。もちろん舞台のみでも伝わってくるのではあるけれど、合間に撮られたインタビューがそれをよりはっきりと伝えている。METライブビューイングの狙いと同様に、シネマ版のもつ「付加価値」だろう。

インタビューは他の若い踊り手——勘九郎、七之助、児太郎、梅枝——にも及んでいて、それぞれの個性がよくわかり、楽しい。と同時に、玉三郎がなぜ、今、若手たちと一緒に舞台に立つのかというその意図も汲み取れる。おそらくは若手の語ることを玉三郎自身も経験してきたのだろう。歌舞伎舞踊を踊ってゆく過程で必ずやぶち当たるであろう壁。たとえそれぞれ個性は違っていても、その壁は共通したものがあるはず。その壁を突破してゆくことで、一つ一つ前に行ける。極みを目指すことができる。家が違えば同じ指導者を持つのは難しい。「家」(しきたり)を取っ払い、実現させたこの舞踊。歌舞伎史に残る試みだった。

玉三郎が踊り手としては別格であるのを、確認できた。とくに冒頭部の舞踊。能の型と精神とに倣ったものであることを確認できた。以前に見た彼の「地唄舞」を彷彿させた。彼が何よりも若手たちに「伝承」したかったのはこの部分だったと、確信した。凄まじくも美しい。大仰な動き、派手な所作がないのに、彼の身体から発せられるオーラ。それだけで屹立していた。孤高の踊り手。でも今やそれを若手に分け与えようとしている。

彼が歌舞伎での経てきた時間の重さも感じた。勘九郎、七之助は六代目菊五郎の曾孫だし、児太郎は五代目歌右衛門の玄孫(曾々孫)に当たる。また梅枝の父の時蔵とは以前に「娘五人道成寺」を一緒に踊っている。若手全てが玉三郎が背負ってきた歴史と分かち難く関わっている。それに思いを馳せながら、見ていた。

以下が松竹サイトにアップされた作品紹介。

女方の美と華やかさ溢れる大曲と、儚い恋を描く名作の豪華二本立て
「京鹿子娘五人道成寺」は、「京鹿子娘道成寺」を、五人で踊り分けるこれまでにない特別な演出が見どころです。

美しい衣裳を纏った花子が時には代わる代わる、時には五人一緒に、花笠や鞨鼓(かっこ)、手踊りなどで華やかに踊り次ぐ、まさに絢爛な舞台。

玉三郎と、歌舞伎界の次代を担う花形俳優たちが魅了する華麗な舞踊をお楽しみください。

「京鹿子娘五人道成寺」物語
桜の花が咲く紀州の道成寺。鐘供養のために訪れた白拍子の花子が
艶やかな踊りを披露するうちに、みるみる形相が変わり、ついには蛇体となって姿を現す。
実は、花子は叶わぬ恋の恨みから僧安珍を焼き殺した清姫の亡霊だったのでした。