yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

巳之助のカゲキが魅れる「御浜御殿綱豊卿」 in 『元禄忠臣蔵』@浅草公会堂1月12日第一部

以下、「歌舞伎美人」のサイトにアップされた<配役>と<みどころ>。

徳川綱豊卿   尾上松也
富森助右衛門  坂東巳之助
御祐筆江島   坂東新悟
中臈お喜世   中村米吉
上臈浦尾    中村歌女之丞
新井勘解由   中村錦之助

御浜御殿綱豊卿」は、綱豊卿と助右衛門、男二人の緊迫感みなぎるやりとりが眼目です。『元禄忠臣蔵』のなかでも、華やかさと迫力に満ちた新作歌舞伎の名作をご堪能ください。

まるで現代劇を見ているようだった。真山青果作なので当然といえば当然ではあるけれど、今までに見てきた「御浜御殿」の中でも心理戦に最大の重点を置いている点で際立っていた。以前のもので当ブログの記事にしているのは二点。直近で見たのは2016年歌舞伎座でのの綱豊卿を仁左衛門、助右衛門を染五郎の組み合わせだった。その前では2013年南座の綱豊卿を梅玉、助右衛門を中車の組み合わせのもの。

ずっと以前に富森助右衛門を先代勘九郎(のちの勘三郎)が演じたのを見た記憶が蘇ってきたので、「歌舞伎データベース」で確認したところ、團十郎が綱豊卿を演じた1995年6月の歌舞伎座公演だった。このときの勘九郎がとても良かった。派手な演技をする人なのに、ここではぐっと抑えて微妙な手の震え、視線の動きで綱豊卿の引っ掛けへの口惜しさを演じてみごとだった。

それと比べると染五郎、中車の助右衛門は演じすぎるきらいがあったように感じた。今回の巳之助の助右衛門はこの「演じすぎる」レベルをさらにあげて極点にまで持って行っていた。錚々たる役者たちがこなしてきた助右衛門。彼らとどう差別化するかというところに、彼は注力したのかもしれない。いささか戯画化しすぎているように感じながら見ていたら、なんと最後に戯画化演出の極みを施して終わらせるという手段に打って出た。笑ってしまった。気になる方はぜひ舞台で確認を。これ、きっと『ワンピース』のノリですよね。

対する松也は、巳之助に引っ張られてか、作戦に乗せられてか気張って演じていたように感じた。もっと受け流す感じで綱豊卿の器の大きさを示しても良かったのでは。こちらも錚々たる演者が演じてきた役。彼なりの解釈というか過去の演者たちへの「抵抗」といったものも垣間見えた気がして、面白かった。

最終シーンで松也が上野介を装って能装束で登場。そこに助右衛門が斬りかかるところが最も印象的だった。今までの能観劇では見たことのない演目、『望月』。この被り物がかなり普通の舞台とは異なっていた。しかも内容がまるで「忠臣蔵」。主人公(シテ)は宿屋の主人に身を変えて主君の仇討ちを機会を待っている武士。仇の望月が宿に泊まったところを討ち取るとって本懐を遂げるという筋書き。この能を持ってきたのは作者、真山青果の粋な工夫だったのだろう。ただ、結末は能のそれとは真逆ではあったけれど。にくい工夫。松也と巳之助の立廻りもとてもリアルで、迫力満点だった。

『歌舞伎演目案内』に詳しく『元禄忠臣蔵』の解説がある。背景、全体像、個別の話もよくわかる。ぜひご一読を。