yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

第148回文楽公演『鑓の権三重帷子 (やりのごんざかさねかたびら)』@ 国立文楽劇場11月6日昼の部

太夫、人形、三味線共に若手に一新された舞台。2014年8月にもそれまでの大御所の方々が退き、若手布陣でこの狂言を演じたのを見ている。とても感動したのだけれど、今回も同じ感動があった。このブログ記事にもしているので、リンクしておく

今回の構成は以下。

近松門左衛門=作 野澤松之輔=脚色・作曲

  浜の宮馬場の段
  浅香市之進留守宅の段
  数寄屋の段
  伏見京橋妻敵討の段


3年前とは配役、三味線、それぞれにかなりの入れ替えがあった。3年前のものは以前の記事にアップしている。以下に今回の配役表をアップしておく。

ざっと見る限り、役がより若手に移譲されている。3年前に中堅だった呂勢太夫さんが、中堅というよりもその上の格になられたことがわかる。また他の中堅の方々もさらに上の語りを受け持たれるようになっている。

最も変わったのは、人形のおさゐ。3年前は文雀さんが遣われていたけれど、今回は和夫さん。文雀さんは昨年鬼籍に入られた。知的な方で、人形の遣い方に一家言持っておられるというのを、綱太夫さんだったかの芸談で読んだ記憶が。以前は和夫を名乗っておられたということは、今の和夫さんは一の弟子ということだろう。文雀さんが文五郎系列というのが意外だった。その芸達者ぶりで文楽の一世代を築いた伝説的人形遣いの吉田文五郎と吉田栄三。この二人は対照的な芸風で、安藤鶴夫によれば、「栄三の芸が理知的であるといえば、文五郎は情の芸である」ということらしい。残念ながらお二人の演奏を聞いたことがないのではあるけれど、なんとなく「わかった」気がしていた。なので、今更ながら文雀さんが文五郎の弟子だったと知り、「人形遣い」の奥の深さを幾分か理解できた。

和夫さんのおさゐはやはり文雀さんを思わせた。3年前の文雀さんのおさゐ、文雀さんらしい遊び心があった。文雀さんは折り目正しい遣い手であったけど、時折はっとするような「脱線」というか羽目外し的なことをされた。それもきっと計算の上の技なんだろうとは思っていたので、文雀版おさゐにも驚かなかった。今回の和夫さんにも同様の意外性を感じた。今まで見てきた和夫さんが遣う(女性の)人形は、淑やかな気質のものが圧倒的に多かったけれど、今回のおさゐはかなり過激な女性。淑やかな女性を遣えば右に出るものがないほどの和夫さん、その和夫さんのおさゐは彼女の「激情」を嫌という程印象付けた遣い方だった。和夫さんの違った面を見た気がした。おさゐの複雑な感情の起伏を手に取るように観客に分からせるという難題をこなしておられた。それはやっぱり師匠譲りなんだと納得。人間国宝に認定されたけど、当然。筋書きに載った和夫さんのお話だと、文雀さんは故先代玉男さんと親しかったとのこと。きっとお二人で弟子の出世を喜んでおられることだろう。

人形の権三は3年前と同じ勘十郎さん。さすがの貫禄。完璧。「すごい、すごい!」と唸りながら見ていた。上手いのは当然といえば当然なんですけどね。市之進は3年前が玉女(現玉男)さんで、今回が文昇さん。伴之丞は3年前と同じく玉輝さん。

三味線も多少の移動が。3年前の「数寄屋橋の段」、呂勢さんと組んだのは藤蔵さん。今回は咲太夫さんと燕三さん。最後の「伏見京橋妻敵討の段」で呂勢さんは清治さんと組まれている。これは以前に戻ったということ?何れにしても若手がどんどん出場してきているのは喜ばしい。舞台に勢い、華やかさがいや増す。

今回の舞台で一番印象的だったのは、最後の「伏見京橋妻敵討の段」。演出がかなり変わっていた。澤村龍之介さんの演出とのこと。ネット検索をかけたところ、今年の「中之島文楽」での『冥途の飛脚 道行相合かご』の演出も手がけられている。きっと若い方なんだろう。『夏祭浪花鑑』の切りを思わせる背景が斬新だった。バックに踊る人たちがずっと行き交っている。前景では敵討ちの場面。このコントラストの妙は、まさに庶民の価値観と武士のそれを、もっというならば二つの相容れない世界、それぞれの生と死の在り方を立体的に表していて、凄みがあった。