yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

芳賀徹氏「あらためて詩歌の森へ」in 連続講座「芸術は何処へ?」第8回@京都府立芸術会館8月27日

芳賀徹氏の俳句についてのめっぽう楽しいお話と片山九郎右衛門さんのこちらもめっぽう楽しいお話と仕舞とが合わさった超豪華な講座だった。ああ、前の7回を逃したのが悔やまれる。とはいうものの、この回が最も型破りだったのだろうと、講座の全体をみわたして思った。俳句と能楽とのコラボ。異質なような、それでもどこか似ているような、そんな二つの分野。どちらもことばの究極の形を追求した芸術の分野。それぞれトップの当事者のお二人が、体験の中からことばがどのようにして形になるのかを実演で見せてくれる。こんな機会は滅多にない。この俳句と能楽とのコラボ、ぶつかり合っているようで、やっぱり密やかに、でもしたたかにつながっているんですよね。日本人のことばへの飽くなきこだわり、そしてそこから生み出された美意識から生み出されたものである点で。

芳賀徹氏は、主として芭蕉の句を春夏秋冬ごとに「読み込む」という体裁で話を進められた。それぞれの俳句のことばの選び方、その選ばれたことば、ことば群から立ち上がってくる豊潤なイメージ。光景まで見える。現実の光景ではなく、美に昇華された光景。そこに句を紡いだ作者の心の裡が見えている。でもそれが押し付けがましいのではなく、さらっとさりげなく。ことばの選び方、ことばの組み合わせ方、そしてそれの提示の仕方、すべてに作者の美学が出ている。

この読み込み方に芳賀氏の美学も表れていた。彼の強い思い入れこちらにも感染してくる。それも穏やかに効いてくるというような悠長なものではなく、激しく迫ってきて、否応なくとりこまれてしまう。俳句をもっと「枯れた」ものとして捉えていたのが、間違いだったと知った。芳賀流俳句の鑑賞法にはまり込んでしまったのかもしれない。俳句のことばの薄墨色の世界、それが異質な西洋的な色を一滴落とされることで、新しい姿に趣を変える。こういう捉え方は、やはり比較文化、文学の方なんでしょうね。非常に刺激的だった。

芭蕉が旅をした先々で請われて俳句を教え、また一緒に連句したという話も新鮮な驚きだった。当時江戸の最先端をゆく俳諧の作り手、スターだった芭蕉、彼が当地にやってきたという噂はあっという間に広まり、師匠を請われたのだという。僻地であった東北、北陸の果てにまで芭蕉の名は轟いていた。また、彼と連句をした各地の名もない人たちの句のレベルが優れて高いのも驚きだと、芳賀氏は仰っておられた。元禄を迎えようとしていた日本、戦乱がなくなり、平和な世が続いたことで、人々は落ち着いて俳諧に身をゆだねることができたのだろう。これは能楽にもいえるのかもしれない。芭蕉もわらじを脱いだ山形県鶴岡。その出羽三山の地に残る黒川能もその一つの証左かもしれない。日本人の美意識が俳句にも能楽にも余すことなく表れている。

ポール・クローデルが俳句を書いていたというのにも驚いた。しかも墨で。まとめたものが『百扇帖』として出版されているという(初版は東京、1927年、1942年にパリで再版)。誰にも師事しなかったというのに、おみごと。芳賀徹氏が訳をつけられていた。ただし、「It’s Greek to me」ではあったけど。ポール・クローデルは昨年末に京都造形芸術大学の春秋座で渡邊守章氏演出の『繻子の靴』を見たばかり。劇中のあのおびただしいまでの台詞の饒舌とこの俳句の句の「寡黙」ぶりが合致しなくて困った。クローデルも日本滞在を終える頃には俳句的心象世界というか、日本的美学に心をより動かされるようになっていた?

芳賀氏の俳句リストに挙がっていなかったものの、芳賀氏がさらっと言及された芭蕉の句、「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと」。これは「むざんやな 甲の下の きりぎりす」を呼び起こしてしまう句。実盛に思いを馳せて帰宅したら、NHKeテレで能『実盛』の舞台が放映されていた。不思議な引力のようなものを感じてしまった。