yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能から歌舞伎になった芝居と舞踊—『安宅』、「道成寺」

梅原猛、観世清和監修『能を読む4—世阿弥と信光以後』(角川学芸出版、平成25年刊)は能研究の学術的側面より、能の紹介に比重が置かれていた。そこに、監修の梅原猛氏の思いが強くこもっているように感じた。大半が能曲とその現代語訳、そして解説に割かれている。でも巻末に付いた論考、及び対談が面白い。論考では松岡心平氏の「『道成寺』と乱拍子」が、対談は四流派宗家へのインタビュー全てに啓発された。肩肘張らないさりげなさ、気取りのなさが、編者たちの能を広い層に浸透させたいという意図が汲み取れる。

世阿弥、信光を深く掘り下げるというより、周辺からこの二人に迫るという手法が採られている。どちらかというと雑音的なもの、異端とまではいえなくとも正統から外れた事象に光を当てているように感じた。一点のテーマに収斂させるというのではなく、外縁部に広がる無数の点を確認しているように思えた。そもそも、信光という人がやって来たことがそれに当たるのだろう。携わった能楽研究者も各流派の演者もそういう理解のもとに論じたり、話をしたりしていた。それが気取りのない印象を与え、能をよく知らない、あるいは関心の薄い層を能に惹きつけるきっかけになるやもしれない。

つい先日松竹座で鴈治郎、壱太郎親子の「舌出三番叟」を見たばかり。歌舞伎の「三番叟」は神への奉納というよりも、きらびやかさを手を変え品を変えて競っているという印象を今までは持って来た。しかし今回初めて、これは能の「三番叟」が下敷きになっているのだと意識しながら観劇した。そうすると不思議なことに見える景色が今までと異なってきた。

梅原節が健在だと嬉しかったのは、新しい観点で、しかも鋭い切り口で能から歌舞伎へアダプトされた作品を分析しているところ。能から歌舞伎に変身した(?)演目、舞踊は結構ある。「三番叟」もそう。『能を読む』中ではとくに『安宅』と「道成寺」を取り上げている。

『勧進帳』になった能の『安宅』。梅原氏は二作品それぞれにおける冨樫像の違いに注目する。これはこれで目を開かれた気がしたけど、もっと興味深かったのが「道成寺」の比較。梅原氏はこの作者を信光と断定する。あの激しい乱拍子。これは歌舞伎のものより能の方がはるかに激しい。白拍子が踏む拍子が加速度をつけて速くなるにつれ、彼女の秘めていた鐘への執心が露わになる。怨霊の本性を顕す前触れがこの乱拍子。落ちた鐘に飛び込むところで、舞台はクライマックスを迎える。

一方、歌舞伎舞踊の「道成寺」。こちらは様々な形があり、「なんとか道成寺」となっていることが多いが、「京鹿子娘道成寺」が最も有名だろう。能のもつ緊迫感よりも、白拍子花子の華やかさを衣装と踊りの手で魅せる。ちなみに梅原氏が賞賛しているのは玉三郎と菊之助が2013年に歌舞伎座杮落としで踊った「京鹿子娘二人道成寺」。これには私も同意。本舞台で残念ながら見ていないけど、シネマ歌舞伎で見ることができた。もし能「道成寺」の作者が信光であるとするなら、信光が歌舞伎「京鹿子娘道成寺」の間接的作者になると、梅原氏はいう。能が歌舞伎にアダプトされるほど「華やか」なものになったのは、優れて信光の功績によると、賞賛している。