yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ベートーベン「第九」@新歌舞伎座12月24日

公演サイトからの情報は以下。

指揮:ヴァハン・マルディロシアン
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:日紫喜恵美 アルト:田中友輝子
テノール:松原友 バリトン:大谷圭介.
合唱:大阪アカデミー合唱団 ほか

この日の指揮者、ヴァハン・マルディロシアン( Vahan Mardirossian)についての公演サイトからの経歴は以下。

アルメニアのエレヴァンに生まれる。1993年にパリ音楽院に入学しジャック・ルヴィエに学ぶ。ピアノと室内楽で優秀な成績を修めて首席で卒業し、ほどなくフランスを始めヨーロッパ各国、アメリカ、カナダ、ロシア、日本をはじめアジア各国でリサイタル活動を行うようになる。また、室内楽の演奏にも熱心に取り組んでおり、イヴリー・ギトリス、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ルノー&ゴルティエのカプソン兄弟、ハンナ・チャン等世界的に活躍する演奏家と共演を重ねてきた。特にギトリスには「最高のパートナー」と認められて世界各国のリサイタルで共演を行っている。加えて、フランス国立管弦楽団、アルメニア・フィルを始め各国のオーケストラに定期的に客演し、いずれも成功を収めている。

音楽家としての経歴をピアニストとして出発した指揮者。同じ経歴の指揮者ではアシュケナージ、バレンボイム、エッシェンバッハなどの演奏を聴いたことがある。エッシェンバッハのピアノが好きだったので、指揮者としては、なぜか馴染めない気がしていた。アシュケナージはピアノにそこまでいれこまなかったせいか、指揮に違和感がなかった。バレンボイムはピアノのスタイルがそのまま指揮に移行しただけという感じ。マルディロシアンのピアノを聴いていないので、指揮者に移行したその必然性が分からないのだけど、おそらくバレンボイムに似ている(その体型も)?ただ、ピアノ演奏そのものは上にあげた三人とはかなり違っていたのだろうと、今回の「第九」を聴いて想像できた。

ヨーロッパはヨーロッパでも、「西」にカテゴライズできないアルメニアの出身。Youtubeでその民族音楽が聞けるが、西洋のそれとは違っている。かといっていわゆる東洋のものとも違う。エスニシティ度がかなり高い。アルメニア出身の有名な音楽家としては「剣の舞」のハチャトゥリアンがいる。ピアノの演奏曲は交響曲に比べるとかなり限定的。西洋のもの。西洋文化環境で育った人には抵抗がなく入れるのだろうけど、そうでない場合は、自身を曲相に沿わせるのに苦労があると思う。傑出した東洋系ピアニストがあまりいないのもそれが理由かも。その点交響曲だと工夫の余地がある。自身のスタイル、思想に沿わせやすい。

この日の「第九」、やっぱり今までに聞いてきたものと大分異なっていた。彼の指揮活動について、「2014年には東京フィルハーモニー交響楽団に客演し、日本のオーケストラにデビュー。2015年には東京・春・音楽祭ならびに日本フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団への客演が予定されている」とサイトに記載があった。日本の演奏者との相性は悪くはないのだと思う。ただ、生み出される音楽は独特の色合いを持つかもしれない。

演奏は全体としてちょっと緩慢な感じがした。メリハリがあまり効いていなかったように思う。それはホールの音響効果がよくなかったせいかもしれない。新歌舞伎座は、こういう交響曲の演奏には向いていない。音が飛び散るというか、まとまりがなくなってしまう。同じメンバーで芸文センターでの演奏だったらかなり違った印象だったのかも。

客層は普段芸文センターなどのクラッシック音楽のホールの観客とは随分と違っていたような。やっぱりお芝居の延長として「第九」を観に来られていた?

フルートは重要な役割を果たすが、フルート奏者の中に以前に「マグノリア・サロンコンサート」で生演奏を聞いたことのある演奏者の姿が。沼田 陽一さん。ちょっと嬉しくなった。ソロの四人は可もなく不可もなしという印象。テナーの方が良かった。合唱は人数不足。物足らなさが残った。

言わずもがなの蛇足を一言。公演チラシに「『第九』in新歌舞伎座」となっているんですが、この「in」は「at」ですね。ブログ等でお芝居に劇場名をつけるのにもよくこれがあります。