yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『あらしのよるに』九月花形歌舞伎@京都南座9月7日夜の部

海老蔵の新作歌舞伎、『はなさかじいさん』級のものを期待して行ったのに、
「がっかり」。退屈で、第三部は退出した。

一応情報と感じたことは載せておく。「歌舞伎美人」からの配役とみどころは以下。

原作 きむらゆういち
脚本 今井豊茂
演出・振付 藤間勘十郎

<配役>
がぶ 中村 獅 童
めい 尾上 松 也
みい姫 中村 梅 枝
たぷ 中村 萬太郎
はく 市村 竹 松
山羊のおじじ 市村 橘太郎
ぎろ 市川 月乃助
がい 河原崎権十郎
狼のおばば 市村 萬次郎

<みどころ>
ある嵐の夜、真っ暗闇の山小屋で偶然出会ったオオカミのがぶとヤギのめい。二匹は、お互いの素性を知らぬまま夜通し語り合い、友達となる。「あらしのよるに」を合言葉に再会を心待ちにしていた二匹。約束の日に、相手の姿に驚く二匹だったが、互いの仲間たちに内緒で友情を育んでいく。だが、ついにはそれぞれの仲間たちに知られることとなり、猛反対にあう。裏切り者と追い詰められた二匹は…。

ちらしにあったPRの文句が以下。かなり「?」の内容だけど、そのまま引用する。

歌舞伎発祥の地、京都南座で、歌舞伎×絵本の新たな世界が誕生します!

すべての世代に真の友情と心と心のふれ合いの大切さについて問いかけた作品として、二十年以上にわたるロングセラーとなっている、きむらゆういち原作の絵本シリーズ「あらしのよるに」。

オオカミのガブとヤギのメイが「食う者」と「食われる者」の立場を超えて真の友情を育んでいく物語は、日本中に深い感動を与え、絵本は初版以来三〇〇万部を超えるベストセラーとなり、ゲームやアニメ映画化などさまざまなメディアへと展開され、人気を博しました。(中略)

作品のもつ魅力に歌舞伎の様式美や趣向、音楽、美術が相まって、一体どのような新しい舞台が誕生するのか、この秋の話題となること必至です。

「この秋の話題」となったのかどうか。評判になったという原作を「読んで」いないので、原作の評価はできない。Wikiによるとかなり「ヒューマニズム」にどっぷりと塗りこめられた作品のよう。こども教育用としては良い作品なんでしょう。でも私ならこんな「結論ありき」のベタな絵本より、『百万回生きたねこ』のように色んな解釈を許す作品をこそ、こどもに読ませたい。条理の通らないのが世界なのだと多少ともほのめかす絵本をこそ与えたい。グリム童話なんてその最たる例ですよね。

なんでも中村獅童のご母堂がこの作品がお好きだとのことで、獅童が強く望んだのだとか。

絵本をアニメにするのはそう難しくはないだろう。この作品、アニメ化は「成功」したというのも頷ける。ただ舞台となると話は別である。対象はこどもではなく大人の観客である。ご都合主義のヒューマニズムを錦の御旗にしたが最後、退屈千万な舞台になるのは必定である。舞台の怖さだと思う。

私の回りの観客の反応はさまざまだった。前列と横席の50代と思われる女性はずっと居眠りをしていた。同情してしまった。三階席だったのだけど、ずっと後方の年配女性軍団はそこそこ喜んでおられたよう。もっとも彼女たちの会話から、あまり観劇経験のない人たちだったと思われた。「とっつきやすい」と予想し、連れ立って観劇したのかも。

主人公ガブ役の獅童を褒めている批評があった。彼なりに一生懸命だったのは認める。でもどこか薄っぺらい。それはメイ役の松也にもいえた。二人は一級の役者には今一歩なんだと思い知った。海老蔵や菊之助、染五郎、そして勘九郎、七之助たちに比べると存在感が希薄な感じが否めない。なぜなんだろう。それは家を背負って立つという責任感が異なっているからではないか。責任感はどうしようもなく重いもの。でも重いがゆえに厳しい稽古を甘んじて受けるのだろう。ものすごい努力をするのだろう。イイカゲンな妥協をしないで。

それと二人にはユーモアセンスが薄い。諧謔精神も。関西でなくとも舞台で「受ける」にはこれは必須。先月新橋演舞場で観た『阿弖流為』を思いだしてしまった。若手による新作歌舞伎、実験歌舞伎という点では共通している。でも『阿弖流為』にはユーモアも諧謔もウィットもサタイアーもぶちこまれていた。もちろんそう仕向けたのは脚本(中島かずき)と演出(いのうえひでのり)。その上にそれを自家薬籠中のものとし、脚本・演出をも超え出るようなすぐれた役者がいて、初めて実験歌舞伎が可能になるのだ。『阿弖流為』とのあまりにもの違いに、愕然とした。

良かったのはこれまた『阿弖流為』での怪演に瞠目した萬次郎。ぎろ役の月乃助も存在感があった。そしてみい姫の梅枝がえもいわれず気品があった。このひとたちは高く評価したい。